1911年(明治44)
創業当時の呉市稲荷町工場(中央のハンチング帽の男性が阪田久五郎・当時28歳)
当時はまだモーターがないので手廻しだった。
創業当時の金ペン工場でルーペを覗く工員たち。
1918年頃(大正中期)
呉市浜田町工場万年筆軸部(右端の機械が当時新鋭を誇ったエボナイト軸模様入れ機)
1925年(大正14)
1926年5月27日(大正15)
天皇陛下(当時 摂政宮)民間産業奨励のため、呉市浜田町工場をご訪問。親しくご視察された。この栄誉を機に5月27日を創立記念日と定める。
写真は正門前において勢揃いしたお出迎えの工場幹部。
1932年(昭和7)
株式会社組織とし、社名を「株式会社セーラー万年筆阪田製作所」とする。
1934年(昭和9)
第20回 全国中等学校野球大会のアドバルーン(甲子園球場)
この大会では広島県・呉港中学(現・呉港高校)が優勝を飾った。
昭和7年の目録(カタログ)
1939年(昭和14)
広島県安芸郡大屋村(現・呉市天応町)に工場建設開始(万年筆のセルロイド軸と軍需品の製造から着手)。セルロイドは燃えやすいという性質があるため、平屋で分散型の工場設計となっていた。
1945年(昭和20)
戦時中の工場内部呉市浜田町および岩方通の2工場、戦災により焼失。
終戦と同時に残存の天応工場にて再建に着手。
1948年(昭和23)
2月9日 業界のトップを切り、国産初のボールペンとして発売された「セーラー・ボール・ポイント・ペン」。当時の価格で300円。都内の百貨店で用意した500本が瞬く間に完売。「ボールペン・ブーム」の火付け役となる。
1949年(昭和24)
プラスチック射出成型機から量産された日本で最初の万年筆。当時の価格で250円。これを境に日本の万年筆は量産体制時代に入る。
1960年(昭和35)
社名を「セーラー万年筆株式会社」(英訳名:THE SAILOR PEN CO.,LTD.)に変更
1963年(昭和38)
ミニ型万年筆「セーラーミニ」発売。空前のバカンスブームに乗り、軽装に合わせ「ワイシャツの胸ポケットにも収納しやすい万年筆」で人気を博す。
1969年(昭和44)
21金ペンを発売。現在もなお、21金ペン先にこだわって製造を続けている。
◆ロボットマシン(射出成型品自動取出し装置)の製造販売を開始。
1972年(昭和47)
業界初の「ふでペン」発売。定価:100円。翌年の年賀状シーズンには300万本を完売。
1976年(昭和51)
「キャンディ万年筆」発売。定価:600円。8色のボディカラーと10色のインクが女子中高生を中心に人気を博し’81年(昭和56)末には累計1,500万本を達成する大ヒットとなる。
「キャンディ万年筆」大ヒットの様子を伝える新聞記事。[’79年5月9日付 日経産業新聞]
※「キャンディ万年筆」は2011年5月、創立100周年記念商品『クリアーキャンディ万年筆』として復刻。
1981年(昭和56)
「プロフィット万年筆」発売。
現在もなお人気が高く30年以上にわたるロングセラーを誇り、セーラーの代表ブランドとなる。
1992年(平成4)
世界初ボールペンチップ採用の「修正ローリング」、キャップ加圧式「修正字消しペン」発売
1994年(平成6)
「修正字消しペン」累計1,000万本突破する大ヒット
店頭イベント「ペンクリニック」を本格的に開始
1995年(平成7)
筆のような筆記ができる「ふでDEまんねん」発売。現在ではイラスト用としても人気が高い。
2000年(平成12)
セーラーのオリジナルペン先として「プロフィット長刀研ぎ」、左利き用万年筆「プロフィットレフティ」発売。
2003年(平成15)
「プロフェッショナルギア万年筆」発売。(写真左)
プロフィットシリーズの最高峰「キングプロフィット」発売(写真右)
2005年(平成17)
店舗イベント「インク工房」を開始。
2008年(平成20)
「有田焼万年筆 古伊万里蘭菊」(香蘭社製)がG8北海道洞爺湖サミットの記念品として内閣総理大臣から各国首脳に贈呈される。
2011年(平成23)
創立100周年。記念万年筆として「クリアーキャンディ」「島桑」「有田焼-染付桐鳳凰- 文具セット」を発売。
2015年(平成27)
「STORiA(ストーリア)顔料ボトルインク」が「第24回日本文具大賞デザイン部門 優秀賞」に選出される。
2017年(平成29)
日本の四季が織りなす自然をテーマにした筆記具シリーズ「SHIKIORI」ブランド展開を開始。
2018年(平成30)
全100色のカラーバリエーションを誇る「インク工房 染料20ml」発売。
2020年(令和2)
10月1日、新たなコーポレートアイデンティティのもとロゴマーク、ロゴタイプを一新。